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2010年01月01日

年越し直前は、少し風が強く、飛ばされた園正門の松飾りを、その度に拾っては付け直すこと数回。どんな元旦を迎えるのやらと身構えていたら、穏やかなお正月に少し拍子抜けしてしまった。
さて、唐突な話であるが、今年2010年は国連が定めた「国際生物多様性年」なのだそうだ。Uターンラッシュの渋滞に覚悟を決めて、気分転換にスイッチを入れたラジオから流れてきたそんな話題に、なんとなく耳を傾けていた。
この節目となる今年の10月には、名古屋でその国際会議が開かれ、日本も含めた「生物多様性条約」(すごい名前!)の締約国192カ国が参加し、「地球の多様な生態系を守り、永続的に利用し、資源の公平な分配」をしていくため話し合うのだとか・・・知らないところで、色々な計画が進んでいるもの。「守る」だけでなく、「公平な分配」というところが生々しい。
そして、現在、15分に1種、1年間で4万種の生物が絶滅していて、その絶滅のスピードは、恐竜時代の絶滅速度よりはるかに速いというショッキングな話は、遅々とした車の流れにポーっとしかけた頭を、一瞬揺り起こしてくれた。
そんなこんなで、渋滞を抜け辿りついた我が家で、気なって「生物多様性条約」とやらのホームページを覗いてみたら、こんな言葉で「生物の多様性」が説明されていた。
『生物の多様性をそのまま維持していくことよりも、競争や共生など自然な相互関係により、自由に進化・絶滅していくことが、生物多様性の保全につながる』
とにかく今の生態系を守ることが第一なのだろう・・・と単純に考えていた私には、「維持よりも変化」という言葉に、唸らざるえをなかった。一員であるはずの生態系を、まだぼんやりと外から眺めているような自分。そして、
『人の多様性も、それぞれの価値観(個性)を維持していくよりも、人と人の自然な相互関係により変化していくことが、人の多様性の保全につながる。』
と説明は続いて・・・はいなかったが、小さな人間社会の片隅で、生態系をひっかき回し回されている自分は、そんな、こじんまりとしたところで納得させてもらった。結局のところ、生物である以上、この摂理からは逃れられないということで。
さて、また一年が始まる。
P.S.1
なぁ〜んだ・・・と呟かれた当園保護者のみなさまへ
今回は「誠美マガジン」1月号(園だより)の巻頭言のブログ版。ヒゲ節で書き直したということで、ご勘弁を。
P.S.2
トップの画像は、昨年末、園庭で開催した「キャンドルナイト」の写真で作ったポストカード。2010年誠美保育園オフィシャル年賀状。
posted by 折井 誠司 at 00:00|
日記
2009年11月15日

10月某日、園庭の冬支度。園庭では、夏芝、冬芝、2種類の芝を育てている。夏芝がベースとなっているが、冬芝は秋の間に種を播く。しばらく養生すると緑のじゅうたんが出き上がるのだが、使っているうちになくなっていく。そして、春の声をきく2月末ころになると再び芽を出し、夏芝にバトンタッチする7月くらいまでがんばってくれる。
時間の合間をみての作業ということもあって、例年、1週間くらいかかる作業だが、今年は、K先生の発案でお父さんたちにも手伝ってもらっては、ということになった。そして、この作業を口実に、男たちで駅前に繰り出そう、という目論見。
果たして何人が、といった心配をよそに、十余名のお父さんが集まってくれた。地面をならすトンボの数が揃わず、慌てて端材で何本か作っておいたのだが、なんとか全体に道具が行き渡り、胸を撫でおろす。おかげで、あれよあれよという間に作業はわずか2時間程で完了、夕方から駅前に場所を移し、本日の作業は第2部へ。

胸にピンクの名札を貼った、もの静かな親父たちの集団に、注文をとりに来た店員もちょっと引いたに違いない。顔見知り程度の男同士というのは、こんなものだろう。それでも、アルコールが回っていくにつれ場も和み、大いに盛りあがっていったのだが、これからという時に、時間切れというのもよくあるパターン。エンジンのかかった親父たちは、翌日に予定がある者を残しそのまま2次会へ。
熱く語る人、じっと耳を傾ける人、絶妙に突っこむ人、とぼけた味の人、ぼくとつとした人、いろんな親父がいた。園に、地域に、こんな親父たちがいること知った。それぞれに、いい時間を過ごせてもらえただろうか。
P.S.
「帰宅後、お父さん、何か言ってました?」、数日後、数人のお母さんに尋ねてみた。一様に、「何だか、興奮して帰ってきて・・・」との答だった。さて、これをどう受けとめればよいのだろうか。
posted by 折井 誠司 at 00:00|
日記
2009年09月07日

やっと、ホームページをリニューアルオープンすることができました。お待たせしました。
自前のサーバーマシンの設置、アドレスの取得、ソフトの設定、ページの作成に至るまで、100%手作りで最初のホームページを立ち上げたのが、十余年前。当時は、ホームページを持つ園はめずらしく、たぶんに実験的な意味合いの濃いものでした。時間を見つけてはあれはどうだろう、これはどうだろうと、思いつくままに情報を流し込みながら、将来はどういうものになっていくのだろうと、夢想しながらちまちまとキーボードを叩いていたものでした。
そうこうするうちに、サーバーのクラッシュ(ホームページを書き込んでいたパソコンの故障みたいなものです。)に襲われ、全てを失うという大事故に遭遇!そして、気がつくと、大量の迷惑メールに悩まされる日々が待っておりました。周りを見わたせば、いつしかデータセキュリティ(ホームページからの情報流出対策)の時代に入っており、ここでついに、ホームページならぬホームメードページを諦めることになりました。
その後も、インターネットの進化は留まるところを知らず、開設当時は最先端をいっていたつもりが、あっという間に追い越され、あの挫折?以来、しばらく再開のきっかけを掴めずにいました。
インターネットの広がり方で、当時の私の予想と全く違った展開をみせたものがいくつかあります。一つは、メールが携帯電話と共に普及していったこと。まだ、利用する人が少かったあの当時、保護者へのメール交換への呼びかけに「子どもが寝静まった頃・・・」とホームページに書いた記憶があるのですが、今や携帯メールのおかげで、いつでもどこでも状態に。
そして、もう一つの驚きがブログの広がりでした。今や星の数ほどのブログに、「大公開時代」の到来と言った人がいましたが、自分の日常や思いを発信したい人がこれほどまでにいるのかと。
あの挫折(しつこいですね。)からしばらく間があったのは、実は、時間と共に変化する日々の園情報をインターネットで伝え続けることに、何の意味があるのか少しわからなくなったということもあります。園だよりでも、園内の掲示板でもいいのではないのかと。
しかし、ブログを始めとしたさまざまな活用形態の登場に(今や「つぶやき」まで流れています。)、もっと「気軽」に、もっと「あいまいなもの」を、もっと「私的」に伝えるものであってもいいのかも、と思わせてくれるようになったことが、ホームページ再開への後押しをしてくれたような気がします。
園内外に見つかる事実以上に、そこにある思い、感動が伝わるページになっていけたら・・・そんな思いで再開したいと思います。本当にお待たせいたしました。
posted by 折井 誠司 at 01:52|
日記